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Introduction |
1970年の神戸、国道170号線が今のように大きくなり、西国街道ではなくなった年、大阪で日本万国博が行われた年。八月の暑いある日、15歳のイガ栗頭の少年だった僕は、始めてブルーグラスに出会った。神戸の三宮の、元町に近い薄暗い路地の途中にあったあの店は、大きな都会の人込み中にあって、ただ一ヶ所、風が吹き抜ける Lost City だった。僕は、キラキラと輝きながら飛び跳ねるバンジョーの音に、汽笛のように咽びながら吼えるフィドルの音に、そして、次々と、押し寄せる波のように繰り広げられる演奏に、ただただ目を見張り、唖然として聴き入るばかりだった。神戸の街の片隅の、薄暗い路地の途中にあったあの店で出会った音楽は、やがて少しずつ僕を包み込み、いつしか僕自身を変えていった。沢山の人に出会い、沢山の人と別れた。にこやかに手を振りながら、お互い肩を叩き合った別れがあった。どうしようもなく寂しくて、ポケットに手を突っ込んで、背を向けて俯きながら去った別れもあった。ロストシティ、僕はこの名を聞く度に、いつも心が熱くなる。 思えばほんの、ついこの間のことのように思い出すことがある。でも、僕がブルーグラスを初めて聴いて、もう既に、間違いなく、28年もの時間が過ぎてしまった。いつの間にか街もかわり、人もかわった。僕に初めてブルーグラスを教えてくれた、あのロストシティがなくなってからでも、もう十年以上が歳月が過ぎてしまった。僕がサッカー好きの、痩身の少年だった頃、一緒に音楽を始めた沢山の仲間達は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。みんな、僕より歌も楽器の演奏も比べものにならないくらい上手くて、僕はいつか彼らと同じステージに立って、彼らの横で演奏するのが夢だった。 冬の札幌の、すきま風が吹き抜ける薄暗いアパートで、隣り部屋の住人を気にしながら、毎日夜遅くまでバンジョーを弾いていた、あいつは今、何をしているのだろう。座間の、米軍のベースキャンプにほど近い、芝生に囲まれた真っ白なペンキ塗の家で、アメリカから取り寄せた新しいいろんな雑誌を、いつも自慢気に見せてくれた彼は、いったいどこへ行ってしまったのだろう。僕は彼の部屋で、当時は読めもしなかったアメリカの音楽雑誌を手に取って、真新しい本のページを開いては鼻を近づけて、憧れのアメリカの匂いを嗅いだ。でも、僕は、彼が僕に、いつも使っていたカワセのギターで、CからFへ移る途中に入れるC7のコードを教えてくれた時の、あの音と感激を、今でもはっきりと思い出せる。あのころは、みんなが、いつか心おきなく音楽に浸れる日を夢見て、ずっといつまでも続けようと思っていた。 いつの間にか、長い時が過ぎて、僕の周りの何人かの人はかわってしまい、懐かしい街の風景も、いつの間にか違うものになってしまったけれど、今では、ブルーグラスは僕の毎日の生活の中にがっちりと根を下ろした。もし、僕がブルーグラスと出遭っていなければ、きっと今の僕とは違う僕になっていただろう。・・・家内や子供達は「ブルーグラスと知りあっていなかった方が、きっと、ずっとまともだっただろう。」と言う・・・最近やっと、ブルーグラスと同じくらい長い間付き合ってきた、煙草と縁を切ったところだけれど、こちらはどうも少し違う。多分、好むと好まざるとにかかわらず、僕がこの音楽と全く縁を切ることは、きっともう不可能だろう。 何故に僕がこれほどまでにブルーグラスに執着するのか、そして、執着できるのか、その理由は僕にも良く判らない。でも、最近の日本や世界の音楽を聴いていると、日本もアメリカも、ヨーロッパも東南アジアもオーストラリアも南米も、音楽を聴いただけではどこの国の音楽なのか判らない。僅かに言語の違いから国を推察し、特定することはできるのだが、小室哲哉に代表されるような曲になると、僕はあの歌が、僕の母国語で歌われているとは、到底思えないことすらある。良く言えば音楽が全地球化していると言うか、グローバルな音楽が主流となっているのかも知れないが、地域性がなくなった替わりに、どこへ行っても同じ音楽が聴けるようになり、聴き手は、そのての音楽が好きであるか、鳴っていても気にならないのであれば、音楽を聴くことに、何の労力も必要とされない。今や、どこに行っても金太郎飴のような、同じ音楽が手軽に聴ける便利な時代になった。だが、それは、音楽の地域性といった、音楽の個性の原点とも思えるものを消してしまうことにつながりはしないか。 僕が好きなブルーグラスは、極めて地域性の強い音楽だ。アメリカという国家における白人文化の、その中の極く一部を象徴したような音楽がブルーグラスで、よく言われるように、アメリカの演歌がカントリーミュージックであるなら、さしずめブルーグラスは河内音頭と言ったところだろうか。・・・アメリカに住んでいたとき、ブラックタイのパーティーで、白髪の大学教授から「どんな音楽がお好きですか?」と尋ねられた僕は、すかさず「ブルーグラスの、ビル・モンロゥの信奉者です。」と胸を張って答えたが、その紳士は、表情も変えずに僕の前から立ち去り、二度と僕と話をしようとはしなかった。きっとこの紳士は、僕が会場に静かに流れていた、ボストン・フィルのセイジ・オザワの話でもすると思ったのだろう。僕はこのとき初めて、カントリーミュージックやブルーグラスの話をしても喜ばないアメリカ人もいる、ということを知った・・・。 僕はやはり、生来、かなり湿った感性の持ち主だと自分で思う。カントリーミュージックやブルーグラスがこだわるのは、女、男、家族、酒、博打、旅、彷徨、鉄道、ハイウェイ、宗教、伝統、それに生と死だ。これは、旋律や歌い方は両極端なほど全く違うけれど、まさしく日本の演歌の主題以外の何ものでもない。これは、強いこだわりが、うざとい、などと言う言葉で表現される今の時代には、全く似付かわしくないものかも知れない。強いプライドや、自己主張を持ったものが、いつの間にか個性とされ、やがて普遍的な強烈な輝きを放つことがある。まさに、僕にとってのブルーグラスは、そういった極く当たり前だけれど、極めて特徴的なものなのだ。ある評論家がこんなことを書いていた。・・・この間も20代の人たちと、どこのカレーうどんが美味しいか、という話をしていたら、カリフォルニアのトーランスだとか、ニューヨークだとかの店の名前まで出てきて、びっくりしてしまった。どこの国も、老舗が生きにくい時代になったものだと思う。・・・まさしく、そのとおり。ブルーグラスという、うざとい音楽は、今の主流の、金太郎飴のような音楽とは全く異なり、聴く側にもかなりのエネルギーを強いる音楽で、老舗の生き残り難い今の世では、極めて稀な存在なのかも知れない。 僕が音楽が好きだと言うと、人は必ず不思議な顔をして・・・きっと僕は、人から見ると、音楽なんぞには到底縁のないと思われる風体なのだろう・・・どんな音楽を聴いているのか、毎日楽器を弾いているのかと聞く。・・・余談だけれど、ついこの間までは「どんなレコードを聴いているのですか?」と聞かれた、でも最近は「どんなCDを聴いているのですか?」と聞かれる。時代はやはり確実に変っているのだ。・・・でも、今の僕にはそんなことはどうでもよいことで、全くと言って良いほど関係がない。いつだって心の中ではブルーグラスが鳴っているし、ギターを持たなくても、頭の中だけで演奏することができる。しかし、僕は歌が歌えない。全く声が出ない訳でもないし、歌が嫌いなわけでもない。いつでも口ずさんではいるのだけれど、ただ、どうしようもなく歌が下手クソなのだ。歌の歌える人や、歌の上手い人、例えば、時々日本へ帰る度に、毎日のように深夜まで入り浸る、神戸、元町のライブハウス Shaggy のオーナーである筒見氏や、Forty Five のジョッシュ大塚氏・・・彼らはみんな、少年の頃の僕らの憧れだった・・・などと一緒に演奏すると、僕はもう羨ましくってしょうがない。だから、今までいつの間にか集まったこの歌詞も、歌ってあげなければ、僕が持っているだけでは、歌が可哀想だと思う。そんな訳で、今回一冊にまとめてみた。僕の足跡を残すことよりも、歌が好きで、歌える人に、歌の歌詞を残しておきたい。ただ、これは僕の特性というか、至って節操のないことで申し訳ないのだけれど、この本に収録されているのはブルーグラスの歌詞だけではない。 野崎謙治氏と久し振りに会った夜、Sydney, Star City Hotel にて 出 宮 良 平 |
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