アンコール遺跡写真集(アンコール・ワット)


アンコール・ワット南経蔵から望んだ中央祠堂

アンコール・ワット西参道から望んだ本殿
★アンコール・ワット★

12世紀前半、この地を治めたスーリヤヴァルマン2世(生年不詳〜1150頃没、在位1113〜1150頃)により建造された超巨大寺院。ユネスコの世界文化遺産にも登録されているこの寺院の、アンコール・ワット様式と呼ばれる独創的な建築様式は、訪れた者を圧倒し魅了して止まない。幅190メートル、周囲5.5キロにわたり満々と水を貯えた環壕の内側には、三重の回廊と塔堂を中心に構成された伽藍が配置されている。このアンコール遺跡群最大の大伽藍の第一回廊の長さは一辺が約200メートルの四方形。中央の須弥山を思わせる中央祠堂の高さは65メートルにも達し、その四方には4基の堂塔が配置されている。

ヒンドゥ教(ヴィシュヌ派)の宇宙観を具現化したとも言われているこの大寺院は、スーリヤヴァルマン2世に後継者がいなかったこともあり、死後の自己完結のため、葬儀を経た後にこの王の霊廟となり、更にヴィシュヌ神を祀り、そこに帰依することで、神と一体となることを目的として建造された。 すなわち、この巨大なアンコール・ワットはスーリヤヴァルマン2世の死後は墳墓寺院となった。1292年、中国元朝の使節としてカンボディアを訪れた中国人、周達観は、アンコール・ワットを「魯般の墓」と書き残していることからも、当時から墳墓寺院であったことが判る。スーリヤヴァルマン2世は即位したときにはまだ二十歳代後半の若者で、優柔不断な性格だったこともあり国を統治することができなかったといわれている。アンコール・ワットはスーリヤヴァルマン2世の即位と同時に着工され、30年以上の歳月を費やして建造された。アンコール・ワットは王の在位中にほぼ九割ほどできあがったと考えられているが部分的には未完成であったようだ。アンコール・ワットが建立されるまでの建築様式の変遷を辿ると12の建築様式が確認されているが、これらアンコール・ワット前の建物がアンコール・ワット建立につながる技術確立の場となったとも言われている。アンコール・ワットは、盛り土に外枠として、高温・多湿な地域に産出する硬質で、鉄分やアルミニウムを多く含んだラテライト(紅石土)という天然の煉瓦とも言える石を積み上げ、表面に化粧石として砂岩を用いて組み立てた建築物である。建築資材としてのラテライトや砂岩は、現在はアンコール・ワット遺跡の東側を流れるシェムリアップ川を利用して運搬された。現在のこの川は、アンコール・ワットが造られるまではアンコール・ワットの敷地の中を流れていたが、石材運搬のためにアンコール・ワット周囲の環壕に沿ってまっすぐ南北に流れるよう人工的に流れを改修された川である。切り出し運ばれた石材は、表面を丁寧に擦り合わせ、真平らにした後に設計どおりに組み上げられた。アンコール・ワットを訪れた人の多くが、現代のようにコンクリートのような接着剤もない時代に建造され、約900年を経た今でも、剃刀の刃の入る隙間もなく積み上げられた精巧な石積みを見て驚くが、この技術は世界にも類例のないものと言われている。しかし、この石材をいかにして正確な大きさに切り揃えたのか、基本の尺度は人間の肘の長さだったとされているが、細かい道具類などは発掘されてはおらず、何を利用したのか判っていない。また、高さ65メートルにも及ぶ中央尖塔に関しては、どのようにして重量のある石材をこのような高所にまで運んだのか、ピラミッド建築と同様に盛り土をして引き上げたとする説と、竹などで足場を組み滑車を利用して持ち上げたのではないかという説があり、いまだ明らかにはなっていない。現代の最新の建築技術をもってしても、容易に建造することが困難な建造物であることは間違いないアンコール・ワットの謎は多い。

中央尖塔・第三回廊上からの眺望

中央尖塔周囲の第三回廊外壁

また、17世紀、徳川家光の命によりこの地を訪れた長崎の通辞(通訳)島野兼了は、この寺院の詳細な絵図を残し祇園精舎と記録した。鬱蒼たる密林に埋もれながらもきらびやかに威容を放つこの寺院の当時の様相を想像すれば、彼が祇園精舎と思い込んだのもあながち間違った発想ではなかったのかも知れない。その後、この寺院を祇園精舎と信じた日本人が、朱印船貿易華やかなりし当時に海を越えてはるばる参詣していた事実は、日本とアンコール・ワットの関係が、決して遠いものではないことを語っているようにも感じられる。四方を取り囲む回廊内部の石壁や石柱は精緻を極めた壁面彫刻で埋め尽くされ、外壁には無数のアプサラ(クメール語で天女の意味。)の優雅な舞姿が刻まれている。ヒンドゥ教の教えにより、祠堂の中央尖塔は神が降臨し、王と合体する神聖な場所とされた。アンコール・ワットとはクメール語で「寺院都市」を意味する。このアンコール・ワット遺跡は、カンボディアの通貨500リエル札にもデザインされ、この国の象徴であると共に、クメール民族の誇りでもある。

カンボディアの500リエル札に印刷されたアンコールワット

(「アンコール・ワット本殿の平面図」「アンコール・ワット本殿断面図」「アンコール・ワット復元図」は講談社カルチャーブックス”アンコール・ワットへの旅”1992年11月15日発行、著者:平山郁夫、石澤良昭、松本栄一から引用。)


 

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