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オーストラリアを象徴するものと言えばコアラ、カンガルー、エアーズロックを連想するに違いない。これらはオーストラリアに来たことがない者でも知っている、いわば常識だ。常識外のオーストラリア通の育成に努めるサザンクロスタイムス紙としては、オーストラリアへ来たことのある者、かつ読者にしかわからない情報の提供に力を注いでいる。皆さんはオーストラリアを象徴する帽子をご存知だろうか。その名もアクーブラ・ハット。「アクーブラ」はアボリジニ語で「頭にかぶるもの」という意味がある。今月は「アクーブラ・ハット」について追跡してみた。
★オーストラリアの象徴
世界的に有名なオーストラリア人ゴルファー、グレッグ・ノーマンを知らない人はいないと察する。彼はこのアクーブラ・ハットがいたくお気に入りで、特注で作らせている。西暦2000年に開かれるシドニーオリンピックでもオーストラリアを代表するオリンピックチームは全員アクーブラ・ハットをかぶり母国の栄光を象徴する。加えて「クロコダイル・ダンディー」でお馴染のオーストラリア人男優ポール・ホーガンはこの映画の中でワニの歯の飾りのついた黒いアクーブラ・ハットをかぶっていた。ちなみにポールがかぶっていたアクーブラ・ハットには「ブラック・ダウン・アンダー」と言った名前が付いている。
アクーブラ・ハットの製造は兎に始まる。漁師により捕らえられた兎はアクーブラ・ハット製造工場に持ち込まれアクーブラ・ハットの材料となるフェルトを作り、そこから複雑な工程を経てアクーブラ・ハットが生まれる。
ちなみにお出かけようの小さな帽子には5、6羽の兎の毛皮、カントリースタイルの大きなものになると12羽分もの毛皮が使用されるという。
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★アクーブラ・ハットの歴史★
英国文化の影響を強く受けるオーストラリアでは、アクーブラ・ハットも英国に由来し、英国人ベンジャミン・ダンカーリー氏により紹介された。英国で名の知れたハットメーカーで、帽子製造業の発展の見込みをオーストラリアに見い出し、家族総出でタスマニアに移住した。後にダンカーリー氏は同ビジネスをシドニーに移転し、ビジネスの才に富む娘むこ、カー氏の力を得ながら、景気変動を繰り返しつつも徐々にビジネスを改善させていった。ところが1930年代に全世界を襲った世界恐慌の煽りを受け経営難を招く。現に当時10社ほどあった帽子製造会社のほとんどは倒産している。こうした中、経営陣および従業員は力を合わせてこの経営難を乗り越えよう一致団結を図り、当時200人いた従業員の一人も解雇することなく荒波を無事乗り切った。第二次世界大戦が始まると戦場へ行く戦士用のアクーブラ・ハット製造の注文を多く受けるようになり、ビジネスは再び改善の兆しを見せ始めた。以来、その丈夫で機能的なアクーブラ・ハットは牧夫や農夫など主に第一次産業にかかわる働き者のオーストラリア人に愛されてきた。
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都市部でのアクーブラ・ハットの存在は、日除けを兼ねたファッション帽といったおしゃれ感覚が強いが、これがアウトバック(遠隔地)になると話はより深いものに発展する。アウトバックで開かれるロデオ大会(カウボーイたちが荒牛を乗りこなす競技)に出場するカウボーイたちは、縁起をかついで決して帽子をベッドの上に置かないそうだ。こうした迷信がカウボーイの間に君臨するほど、その存在はとても大きい。
クイーンズランド州トゥウンバ出身のカウボーイ、ブライアン・テラー氏はアクーブラ・ハットについて次のように語る。「自分の帽子をどのように扱おうが勝手だが、俺のアクーブラ・ハットを手荒く扱いでもすればただじゃ済ませない。」
アクーブラ・ハットの売上市場は60%がアウトバックで暮らす人々で占められる。たいてい誰もが二つのアクーブラ・ハットを所有し、一つは仕事用、もう一つはお出かけ用と用途別に使い分ける。
ちなみにアクーブラ・ハットの値段は、平均47ドル。種類も豊富で、クイーンズランド州では「アリーナ」が人気。ニューサウスウェールズで州南部の農夫は「スクアター」と呼ばれる型を好そう。またロデオをする者には「ウメラ」、牧夫は「スノウイーリバー」を好という。
皆さんもオーストラリアが誇る丈夫でかつオシャレ感覚いっぱいのアクーブラ・ハットをお求めになられてはいかがでしょうかな。
Southern Cross Times, Vol.11. No.11, 1998
November
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